現場は生きている。
それは何かを育てる愛情に似ています
人が快適に過ごせる空間をつくりたい
幼い頃からモノづくりが好きで、小学生の時にはすでに「建物を建てたい」と思っていました。高校に進学する頃には、その夢はもっと具体的になり「人が快適に過ごせる空間をつくりたい」と思うようになりました。なので、大学は建築学科を志望。希望どおりの大学に入学し、建築を4年間学びました。
しかし就職は、様々な業種を多角経営する地元企業の総合職。配属は人事・労務。しばらくは事務仕事に精を出していましたが、やはり事務職は向いていない。「デスクにいるより、現場でモノづくりがしたい」。そう思い、転職活動をして出会ったのがWATでした。
私が入社した頃のWATは、まだ「若手育成プロジェクト」が始まったばかりで、研修の科目も「建築」「AutoCAD」「Jw_cad」「安全衛生」とシンプル。現在の自社スクールの原型でした。今は「ビジネスマナー」から「コミュニケーション」「メンタルヘルス」に「セキュリティ」、「Excel・Word」まである。今日、このインタビューの前にホームページをみて来て、びっくりしました。もうこれはまさに“スクール”。専門学校並みです。
でも当時も科目数こそ今ほどではないですが研修は手厚かったです。S先生の「建築」授業は、建築を大学で学んできた者にとっても大変心強かったです。
実際に現場に出て、作業計画書を作成しなければならない時に数量計算など、習ったことを活かせたことや写真を撮る時の順番や品質保証として何を撮らなければならないかなど、挙げたらキリがないくらい現場で活きる実践的な知識。最初の現場で、それがどれほど心強かったことか。S先生をはじめ、講師の先生方にとても感謝をしています。
1~10に携われる中規模プロジェクトは建てたという実感と愛着が違う
研修を終え、現場に出てから4年目。すでに8つの現場を経験しました。建物は大きく分類して「躯体」と「内装」で出来ています。「躯体」は建物が建ち、維持できるためのもの。「内装」は使う人の居心地をよくするもの。この両方が揃って「人が快適に過ごせる空間」は出来上がります。現場に出て、構造図(躯体)と意匠図(内装)をみる。どんなものをつくるのか、そのイメージをしっかりと持つ。それが私の最初の作業です。
そこから様々な課題を乗り越え、竣工を迎える。この仕事に従事する人は、再開発などのスケールの大きなプロジェクトを好む人も多いですが、私は中規模が好きです。大規模プロジェクトは分業で工程が進むのに対し、中規模はトータルに自分が担当して建物をつくる。つまり1~10に携われる。だから竣工を迎えた時の、建てたという実感と愛着が違います。
以前、竣工を迎えた後に自分が携わったファミリー向け新築分譲マンションの前を通り掛かったことがあります。そのマンションに住まわれるお父さん、お母さん、お子さんが歩いていました。「快適に使っていただいているかな」。そんな思いを巡らしつつ、垂直・水平にそびえ立つ、マンションの佇まいをみていました。
マンションというのは購入される住人の方が、建物が建つ前に広告やパンフレットをみて購入を決めている。だから設計されたとおりに造られなければ、住人になる方にイメージのギャップを与えてしまいます。そのぶん、やり遂げた達成感も違うんです。
そのマンションは着工時からハプニングがありました。図面に載っていない埋設物があったんです。掘ってみたら、電話線、電線、水道管が現れた。どれも図面に載っていない。工事を一度ストップして、各業者に連絡を取り、確認と段取りを決めました。建物をみながら、そんなことを思い出していました。
現場は生きている。それは何かを育てる愛情と似ています
現場では常にハプニングは付き物です。それを一つひとつ対応し、考え、乗り越えて、建物をつくり上げる。そう、現場は生きている。だから四六時中、建物のことを考えていますし、大変といったら大変な仕事だと思います。でも、そのぶん竣工を迎えた時の達成感は格別であり、つくったものへの愛着がある。
実家で犬を飼っているんですが、何かを育てるのと、それは似ている気がします。もう14歳の犬。人間で言ったら90歳くらい。まだ生後2~3ヵ月くらいの時にもらってきて育てました。もちろん、しつけもされていないから、食事も待てないし、室内のあちこちに尿や便をする。そこから、しつけをしながら過ごした時間。それがその犬への愛情となる。
建物も同じです。いろいろなハプニングがあって、その一つひとつが思い出であり、その建物への愛着になります。だからこの仕事は楽しい。
小学校の頃の夢は、もう夢ではありません。毎日が現実であり、常に乗り越えるべき壁を乗り越えようとしている。「小学生の頃に思い描いた職に就けている人は珍しい」と言われたことがあります。そうですね、言い方を変えれば、それしか考えてなかった、ということなんですが、素直にそれは幸せなことなんだと思います。